ネットの意見が気持ち悪いと感じる理由とは

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こんにちはitsuです。今回はネットの意見が気持ち悪いと感じる理由を説明したいと思います。

この記事を読んでいる人は、ネットの意見を見なければいい、無視すればいいという無関心の選択肢は無いと思います。どうすれば向き合えるかを悩んでいると思います。

確かにネットというのは面白いのでついつい見てしまうものです。

目次

ネットの意見が気持ち悪いとは何か

この気持ち悪さを具体的に説明すると、自分の意見と違うのに、さも正しいかのような振る舞いそれに同調する人が多い事から来る理不尽さでしょうか。

同調するように間違った事が拡散されていくような呆れて物も言えないような状態に成ることもあります。

ネットは全員が語気が強めである事と、包み隠さず書くのと、似たような者が集まる、という性質があります。

ある意味で集団いじめのような状態に自然と成る事から、人の凶暴性狂気性なんかも垣間見れてそれが気持ち悪いと感じるかと思います。

何故ネットの意見は気持ち悪いのか

基本的にはネットに意見を書き込む人は、現実世界で上手く行ってない人が多いからです。

人との絡みを求めに行った結果、釣ったり暴言を吐いたり、ありとあらゆる手段を使って、人に意見を投げ掛けます。欲求の発散共感性を得る目的です。

確かにネットがあるから寂しさを紛らわしてるかも知れません。逆に言えばネットで満足するから現実世界での人付き合いを希薄にしているという所もあります。

ネットでは本心が出ます。本性が出ます。この言語空間に慣れてないと気持ち悪いかも知れません。しかし、人間の本質的な部分を知られる機会でもあるので有益と言えば有益かも知れません。

この有益性を巡って、人は他人の本心を探ろうとするその探究心から来る暴言や罵詈雑言があるのです。

ではネットに意見にはどうしたらいいのか

分類化して書き込みの根本的な動機を知る事で、何とも思わなく成ります。ネットに集まる人の特性を理解し、人を知る事で緩和出来るのです。

一般的なネットの意見の4タイプ

対戦型

見下し型

虎の威型

一般正論型

論外の駄目人間

・誹謗中傷

・怨恨

対戦型・・批判型とも言えます。とにかく否定したがる人です。「いや」が口癖で、快感や刺激性を求めてるだけですので、比較的無害です。人を否定すると気持ちいいのでやってるだけです。

ネットで個人的なレスバや大喧嘩が勃発するのは、この人達が仕掛けてる事が多いです。

絡まれたらバチバチに反論してもいいですが、反論する時は、再反論が来ないように注意しましょう。

出来るだけ短く、シンプルに、これ以上反論が出来ないよう完璧な理論で返します。守備力重視です。

短いのがポイントで、長い文だと隙を与えてしまいます。反論する箇所が相手が最も欲しがる所なので、反論が目的の相手に餌を与えてしまうのです。

長文自体がメタ的に隙だらけで「長文乙」「暇人乙」等々の更なる煽りを受けてしまいます。短く句読点も無しに書いて下さい。句読点を付けると「。、多すぎだよおじさん」煽りをして来ますので注意が必要です。

必死感を無くすのがポイントで、軽くあしらい労力も時間も掛けず、理論もシンプル、これが最強です。

データソースを提示して屈服させるのも手です。

対戦型の武器は論理だけで、論理で返せないと見るや返信も無く終わります。

論理で負けなければいいだけなので簡単なのです。

その道のプロの言葉を引用し誰かが言ってたというパターンも有効です。プロの言葉は慎重に確実に選んで下さい。名前を出さない方がいいです。世界的に有名な○○が言ってた、という感じです。

誰でも知ってるような共通認識を出すと相手にも伝わりいいでしょう。その場に居るなら当然知ってるであろうあの人という感じを出すのがコツです。

第三者の意見で信頼性を上げると共に、自分の意見はそこまで入ってない客観性を示し反論する意欲を削ぎます。

相手が欲しがるのは投稿者の思想で、それを否定するから気持ちいいのです。

投稿者の思想自体が希薄であれば、相手は萎えるのです。

対戦型は単純で、ゲーマー気質なだけです。そこまで害もなく、簡単にあしらうのがいいでしょう。

見下し型・・見下し型は、そのコミュニティ内で、人を見下しては快感を得るタイプです。

中身はコンプレックスの塊でただのルサンチマンです。※ルサンチマン・・弱者が強者に抱く嫉妬や憤怒や感情のこと

強者には成れない弱者が人を見下すことで相対的に強者の振舞いが出来る、というだけです。

コミュニティ内の邪魔者で「どっか行けよ」と思われてるのは大体これです。

人を見下して自己肯定感を上げる目的です。相対的に見下す事で自分の地位の向上を図ります。

執着心が強く非常にしつこいのが特徴です。

例えばサラリーマンが楽しむ集会で年収で見下す、知的な雑談や社会を語る場で頭の良さを競って学歴で見下す、独身者しか居ないのに既婚者が「何故お前らは結婚出来ないんだ」と見下す、様々あります。

「んじゃ、何でここに居るんだよ、来るなよ」と煙たがれますが、実は結婚生活に問題があって離婚秒読みだった、とか何らかの鬱憤を抱えて特定の集まりに参加するのです。

格差が生じやすい所に居ます。格差のせいでコンプレックスを抱いているので当然です。

医療関係者など一般的に立派とされてる職業の方が多く、むしろ、立派であればある程に格を気にするので、見下し型に成り易いです。

見下し型はSNS利用者が多く、匿名ではなく、XやThreadsのような自分の地位が示せるようなSNSが多いです。

医療関係者でSNSでバズってる医療ネタに食い付き「分かりみが深い」「これは医療関係者しか分からない」と調子に乗ってるようなタイプは、大体が見下し型です。

投稿を見ると「こいつは医者じゃない」「陰謀論者は怖いね」と他の医療関係者を見下しています。

愚痴と車や買い物の写真、他の医療関係者への貶し、大体がセットです。SNSがいい気分にさせてくれる見下し型のネットの使い方です。

医療関係者というのは、出身学校で格付けされ、診療科で格付けされ、エリートと呼ばれる彼らは、色々な所で格付けされ、ある種の洗脳を受けた状態にあります。エリート中のエリートがSNSをやる訳ではなく、低層から中間層がやるのです。見下し型は可哀想でもあるのです。

見下し型に対して「その時間を何か別の事に使った方がよろしいと思います」「何をそんなに怒ってらっしゃるのですか」と優しく撤退を促すと彼らはやる気を無くすので有効です。

彼らの立場や問題を理解し、敬語で丁寧に対応するといいでしょう。

虎の威型・・虎の威を借る狐が如く圧倒的な強者に付き威張るだけの人です。本人に能力は無く、後ろ盾が凄いだけです。虎の威型は権威が好きでNo.1が大好きです。

いわゆる信者タイプで、ただの信者ならいいですが狂信者に近く、他を罵倒する、荒らす、迷惑を掛ける、無駄な知識をひけらかす、等々をやらかしウザがられています。

有名所ではサッカーの香川選手の信者の「カガシン」なんかが一時期ネットで猛威を奮いました。香川選手自体は凄い選手だと誰もが認める程ですが、そのファン達が行き過ぎるから名前が付けられるのです。

サッカーだけでなく野球でもイチシンや松井オタなど、あだ名は付けられてますね。

彼らに対抗するべくカガアン、イチアン、松井アンチ、なんかも出て来ましたが、私はこれらアンチは選手のアンチでは無かった気がします。選手の「信者」のアンチ、という形で生まれたのです。信者がウザ過ぎるが故に対抗するべくアンチが誕生したという経緯、負の連鎖だと思っています。

イチアンはイチローに敬意を持っていたと思います。「イチローを褒めなきゃいけない世の中が好きではない」という印象だった気がします。

最近では「大谷が居る時代に生まれて幸せ」という文章を見たことが無いでしょうか、虎の威型はNo.1を崇める癖があります。「大谷すごい、俺すごい、これは違う」というネットの注意喚起まで出て来ていますが、正に虎の威型を牽制した文章でしょう。

テニスのジョコビッチなど、最近はファンがおかしいです。シナーとの対戦で勝ったシナーを褒めずにシナーのメインの動画でもジョコビッチを褒めまくりシナーのファンに煙たがれてます。

昔のジョコビッチのファンは静かだったのです。フェデラーとナダルが居た頃は静かで民度も高かったのですが、フェデラーとナダルが居なく成ってBIG3が好きなだけの信者がジョコビッチ信者に成ってからおかしくなりました。このようにBIG3が好きというただの強者好きが故に、その優越感から褒めずにはいられないのです。

虎の威型の問題は、これに◯◯な△△が凄いという論点のすり替えを使ってしまうところです。シナーが勝っても「シナーに善戦したジョコビッチが凄い」と話をすり替えて唐突にジョコビッチGOAT論を展開し荒らしてしまいます。

虎の威型の対策は、対象の選手が落ち目に成ると何も言えなくなります。盛者必衰の真理から言えば、必ず落ちますから放っておけばいいのです。

一般正論型・・一般正論型は圧倒的な多数の意見を後ろ盾に、他者の批難や難癖や揚げ足を取ります。

少数派の意見が多角的にも有用であっても、踏み潰してしまいます。現代の民主主義の根幹の悪の部分で、正論とは結局は偏見で、多角的に見れば正論では無いのです。一方の視点から見て正論なだけで、多角的に見たらそんなことはないです。これを押し付けます。非常に危険でこの4タイプの中で実は一番厄介な存在です。

真理や哲学が不完全な今の世の中では、何が正しいか理解が出来ないので、文化、伝統、秩序、を基準にして、正論を創り上げた、言わば仮の正論を、さも当たり前に絶対的な真理のように語る語り口は非常に危ないのです。

保守系政治思想の集団なんかは一般正論型です。保守的であるが故に多数の意見を後ろ盾に出来て、保守的であるが故に現状維持の政策を指示しマイノリティへは厳しく責め立てます。

生活保護や弱者への当りがきつく貧困層への再分配の政策の給付金などに強く反発します。文化や伝統や秩序を守り、支配者層や既得権益を正当化し、民主主義を形骸化させます。

「それはそう」「これは正論」など上から目線な主張するタイプの書き込みが多く同調させるような雰囲気を持たせます。

一般正論型は論理的に見えて、意外にも感情的な事が多いです。国を守りたいとか孫に残したいとか情に訴えるのが最終的な手段に成ります。従って論理では最終的に説き伏せられないでしょう。

一般正論型は結果が出るまで立場を変えないのが問題です。結果で分からせるしかないのです。

こうすればネットの意見はもっと良く成る

基本的にネットに意見を書く時は敬語で書いて下さい。敬語は魔法で日本の偉大な発明です。敬語で相手を諫めましょう。丁寧な言葉遣いは海外でもありますが、尊敬語、謙譲語、丁寧語、などの体系は日本独自のものです。

私も使いこなせてないのですが言葉に込めた敬意という意味合いが伝われば十分かと思われます。

相手を強く否定するのではなく「どうでしょうか」「そうですかね」という弱い反対に留めるのがいいと思います。

「いや違うだろ」とか強い反対だと、貴方達の心まで疲弊してしまいます。「言い過ぎたな、悪かった、相手は間違ってなかったかも」と申し訳ない気持ちが湧いてくるからです。

相手を認めて相手の言いたい事を理解し、抽象的な立場で意見を述べるに留める、という姿勢が大事なのです。

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