独身の50代の孤独さは異常な理由

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こんにちはitsuです。今回は独身の50代の孤独さは異常な理由をご説明します。

私自身は50代では無いですが、論理的な理由は推察出来ます。50代ならでは、という状況が山ほどあるのです。

このブログではその理由を説明すると共に、全体の方向性はポジティブに捉えたいと思います。

孤独さは異常と言っても人生が終わる訳ではありません。孤独さを重く考えると負のスパイラルに陥ります。軽く考えるのがポイントです。

孤独さというのが本能的に来る虚しさや寂しさなのか、確かに本能的です。

一人暮らしをしていた時期は、言いようのない孤独感に押し潰されそうに何回も成りました。

一人好きな私ですら発狂しかけました。ですが、それは将来への漠然とした不安があったからでした。

要は、孤独さ単体ではなく孤独さ+将来への不安でした。何か願いや希望や楽しみや歓喜があれば打ち消せるものです。一番は自信です。「自分はこれがあるから大丈夫」と思える何かを創り出せば乗り切れます。

最終的には孤独さ+死への恐怖と成りますが、これも死生観で変わります。

死生観を整える、つまり、いつ死んでもいい、輪廻を信じ次はまともな人生を歩もうと思う、など方法論は有ります。

孤独さとは何かと組み合わせて増大する性質のモノなのです。

目次

独身の50代の孤独さは異常な理由とは何か

独身の50代が抱える孤独は、若い頃のそれとは質も深さもまったく異なります。理由はいくつもありますが、大きく分けると、人間関係の縮小・役割の喪失・将来不安の現実化という三つが重なって起こるためです。

まず、人間関係の縮小です。20〜30代は友人や恋愛、職場の同僚との交流が多く、孤独を紛らわせる時間がありました。

しかし50代になると、友人は家庭や子育てに忙しくなり、自然と会う機会が減っていきます。職場でも若手との価値観の差や立場の違いから、会話の距離が広がりやすくなります。

次に、役割の喪失です。社会的にも「中堅からベテラン」へと移行し、現場の第一線からは徐々に外されることもあります。家庭があれば親や伴侶としての役割がありますが、独身の場合、その役割を担う場がなく、存在意義を感じにくくなります。

そして何より、将来不安が現実味を帯びることです。親が高齢になり介護の現実が迫る一方、自分の健康や老後資金、孤独死の問題などが頭をよぎります。

若い頃は「いつかは何とかなる」と思えていたことも、50代になると「もう残り時間が限られている」という感覚に変わり、その重さが孤独を一層深くします。

これらが重なることで、独身50代の孤独は単なる「寂しい」という感情を超え、精神的な閉塞感や社会的な疎外感となって表れます。そのため、同じ「孤独」でも若い世代とは異なる、より深刻で抜け出しにくい状態に陥りやすいのです。

なぜ独身の50代の孤独さは異常なのか

独身の50代の孤独が「異常」と形容されるのは、単なる寂しさの問題ではなく、社会との接点が急激に削ぎ落とされる年齢だからです。

人は誰しも、人間関係・役割・居場所の3つを軸に生きています。しかし50代独身は、この3つが同時に弱まりやすい状況にあります。

まず、人間関係。結婚している同年代は家庭・子や孫とのつながりが生活の中心になり、独身者はその輪の外に置かれます。結果として、話題も価値観もズレていき、誘われる機会も減少します。

若い世代との交流は価値観ギャップで広がらず、気付けば「どこにも属していない」状態になりやすいのです。

次に、役割の喪失。職場では中間管理職のピークを過ぎ、重要な決定権や実務の主導権が若手や次世代に移る時期です。家庭を持つ人は家族の中で役割を維持できますが、独身の場合、職場以外で自分の存在が必要とされる場がほぼ無くなります。

そして最大の理由は、“孤独に耐えるためのエネルギー”が残り少なくなっていることです。

20〜30代は新しい出会いを求めて動く力もあり、孤独を埋める選択肢が豊富です。しかし50代になると体力も精神的な柔軟性も落ち、行動を起こすハードルが格段に高くなります。

そのため孤独を感じても、解消に向けて動けず、ただ蓄積されていく傾向があります。

こうした条件が重なることで、50代独身の孤独は「普通の孤独」ではなく、社会的にも心理的にも出口の見えにくい閉じた孤独へと変質します。それが「異常な孤独」と呼ばれる本質です。

では独身の50代の孤独さをどうすればいいのか

50代で独身という状況は、確かに孤独を感じやすい時期です。ですが、これは「残された人生を自由に設計できる」という大きなチャンスでもあります。孤独をそのまま放置するのではなく、意識して“つながり”と“役割”をつくることが解決のカギになります。

 1. 小さなコミュニティに参加する

大きな交友関係を作る必要はありません。地域のボランティア、趣味サークル、オンラインの同好会など、小規模で居心地の良い場所を探しましょう。大事なのは「自分の存在が自然に受け入れられる場」を持つことです。

 2. 新しい挑戦を始める

50代は経験も知識も豊富。これまでのキャリアや趣味を活かして、副業や資格取得、新しいスポーツなどに挑戦するのも有効です。「まだ成長している」という感覚は孤独感を薄め、自信を取り戻してくれます。

 3. 一人時間を“楽しい時間”に変える

孤独は「一人でいる時間が苦痛」なときに深まります。逆に、映画や読書、料理、旅行など、一人で夢中になれる活動を持てば、その時間は充実した“自分だけの贅沢”になります。

4. 人の為に生きてみる

自分の事で精一杯かも知れませんが、割り切って人の為に生きてみてはいかかでしょうか。私の人生は人の人生だと。冒頭での死生観に繋がりますが、私は業や徳があると思っています。

少しでも徳を得る行為をすると安らぐかも知れません。人の役に立つのです。人の成長の手助けをして下さい。

それが図らずも自分の孤独さを解消させてくれるかも知れません。

孤独を和らげる最も強い方法の一つは「誰かに必要とされる」ことです。家族がいなくても、近所の人や知人、オンラインでの交流の中で、ちょっとした助けを提供するだけでも効果はあります。

5.守備的に“問題”を取り除き、攻撃的に“歓喜”を取り入れる

あなたの孤独さを増長させているのは孤独さ以外の不安です。守備的に不安を取り除く必要があります。

あなたが不安に押し潰されているなら守備が出来てないのです。まずは守備からです。

そして、何も生き甲斐が無いという理由で孤独が辛いなら、それは攻撃不足です。攻撃的に歓喜を取り入れるのです。

自分はこれが好きだったな、これで成長したいんだ、この為に生まれて来たんだ、と思える好きな事です。

自己分析をしてみて、あなたが守備不足なのか攻撃不足なのか、大雑把に傾向を掴み、種々の問題をクリアするのです。

こうすれば独身の50代の孤独さは良く成る

孤独は“消す”よりも“上手く付き合う”方が現実的です。

50代独身の場合は、日常の小さな習慣を変えるだけで、孤独感はぐっと軽くなります。

 1. 朝の「会話の習慣」をつくる

孤独を感じる人の多くは、声を出す機会が減っています。毎朝、カフェで常連客やスタッフと軽く会話する、散歩ついでに近所の人に挨拶するなど、短い会話を生活に組み込みましょう。人とのやりとりが日々のリズムになります。

2. 予定表に“人と会う日”を先に入れる

予定がない日が続くと孤独感は増します。月に数回、友人や知人と会う予定、イベントや講座に参加する日をカレンダーに先に入れましょう。予定が先にあると、日々に張りが出ます。

3. 家の中に“会話を呼び込む物”を置く

家庭菜園の鉢植え、手作りお菓子、ペットなど、人が来たときに自然に話題になる物を用意しておくと、訪問者との会話が盛り上がります。オンラインで共有できる趣味でもOKです。

4. 孤独感を減らす「発信習慣」を持つ

日記やブログ、SNSなどで日常や趣味を発信すると、「読んでくれる人」ができ、双方向のつながりが生まれます。世界のどこかに自分を気にかけてくれる人がいる感覚は、孤独を大きく和らげます。

これは5chやyoutubeのコメント欄でもいいです。以前、TVでレスバトルしまくる中年~老年の男性が取材されていました。これで寂しさが紛れるのです。生き甲斐のように論破しまくっているのでしょう。

レスが返って来るという所がポイントです。誰にも相手にされないような発信ではなく「それはいいね」「それは違うよ」と反応が返って来ると繋がってる感が出ます。

5. “小さな贅沢”を月1で自分にあげる

お気に入りのレストランで食事、少し良いワイン、温泉旅行など、自分を喜ばせる習慣を入れましょう。孤独を「自由時間」として捉えられるようになります。

孤独は、何もしないと深まりますが、小さな行動で驚くほど軽くできます。

50代は、自由な時間と自己決定の余地がまだ十分ある年代です。

行動を少し変えるだけで、「孤独な時間」が「充実の時間」に変わっていきます。

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は独身の50代の孤独さは異常というお話でした。異常は異常ですが、何とか出来るものです。

孤独さと何か組み合わさり孤独さを増長させているなら、それを取り払うのがセオリーです。種々の問題を取り払う戦略ゲーなのです。

最終的には死への恐怖が付き纏うのですが、先にそれを取り払うのもいいでしょう。終活を終えた状態で、いつ死んでもいい、という無敵状態を作り出してから、各々の問題に取り組むのもいいです。

自分の将来像を想像し「何が取り払われたら俺は幸せか」という根本的な問いをするのです。仮にこうなったら、でいいのです。局面の想定をします。あるべき姿が見えて来るでしょう。

自分に足りないのは何かを逆算すれば、幸いにも、今は何でも調べたら出て来る時代、情報は無料で手に入る時代です。ヒントは山のようにあるでしょう。

経済的な不安と健康への不安が真っ先に思い浮かぶでしょうが、先んじて、対策していきましょう。元気があれば何でも出来る、というアントニオ猪木の言葉は真理です。確かに、元気が必要です。

ここでは具体的な事は言えないのですが、この二大不安は真っ先に取っ払うように努力して下さい。

前提なのです。この不安が無いのが前提なのです。

人の生活に関わるので詳細は話せませんが、おすすめは自分でPCを使って自宅で稼げるようにすることです。

これ以上は書けませんが、雇われる事を前提に考えないで下さい。雇われるかどうかの不安と金銭的な不安の二重の不安で、精神的に負荷が掛かります。

運動する、暴飲暴食をしない、よく寝る、を生活の前提に考えて下さい。

その後に、楽しみや歓喜を求めて自分はこれがあるから幸せという状況を作るのです。

追伸:先日、あるTV番組で、夫に先立たれたけど幸せな老婆が出ていました。女性が異常に孤独さに強いという仮説もありますが、その老婆は心から幸せそうでした。孤独な筈なのに幸せとは何か。

孤独さとは単体では襲い掛かって来ない、やはり何かと組み合わさり増大する、という説が私の中で濃厚に成りました。

孤独が最大の不幸では無いのです。不幸の最上位が孤独ではなく不幸な上に孤独だから更に不幸な自分という感じで最大では無いのです。

孤独でも幸せな人が居るということは、一人でも何かを見つけられるという事です。

人生は閃きです。元気があれば何でも出来ます。頑張って下さい。

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